武将下妻頼廉
説明本願寺法主顕如に仕え、織田信長との石山合戦では鈴木重秀(雑賀孫一)と共に本願寺軍の武将として織田軍を苦しめた。このため、「大坂之左右之大将」と呼ばれたという。しかし単なる軍事指揮官だけではなく、天正4年(1576年)に七里頼周が加賀にて無法を行なった時には、それを改めるよう文書を発するなど、内政面においても重きをなしていた。
料金¥100,000(税別)